RESERVATION ご予約
NEWS
お知らせ
内蔵のまち増田 現代に残る発展の歴史

草木ももとせから車で約10分。
わずか400mもの通りに、豪華絢爛な内蔵を有する建物が軒を連ねる増田町。


「内蔵のまち」として平成25年12月27日には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。秋田県では仙北市角館に次ぐ、2番目の選定となります。

JR東日本「大人の休日倶楽部」のロケ地にも選ばれ、吉永小百合さんが増田町を訪れました。

・内蔵の特徴


「内蔵」とは、主屋の背面に建てられた土蔵を鞘となる上屋で覆ったもの。

蔵の内部には床の間を配した座敷間を持つ「座敷蔵」が多く、その家の当主の居室や冠婚葬祭に利用されるなど、特別な空間として使われてきました。


この町の特徴は、それらの家々が今でも日々の生活で使われていること。
町内には45棟もの内蔵が現存すると言われています。

家屋を所有されている方々のご厚意により、現在約19棟の伝統的建造物が公開されており、見学することも可能。
また、通りの内蔵が一斉に開かれる「蔵の日」というイベントも。まとめてたくさんの建物を見学したい方は、こちらもおすすめです。

・内蔵のまち 繁栄の歴史

内蔵を所有する家の多くは商家であり、「造石高 (酒造りで使用できる米の量の上限) 東北日本一の酒造会社」「水力発電をつくり仙北平野まで送電」「県道で一番初めに舗装工事された道路」など、その歴史に多くの武勇伝を残すここ増田町。

東北の小さな町に繁栄をもたらし、現代に残る「内蔵のまち」を創り上げた背景にはどのような歴史があるのでしょうか。

成瀬川と皆瀬川が合流する地点に立地し、人と物資の往来でにぎわったこの町は、養蚕、葉煙草栽培など換金性の高い商品作物づくりが盛んな地勢に恵まれました。
この農業資産と商品作物の取引によって事業を拡大した豪商たちが資力を合わせ、銀行や水力発電会社、果樹栽培など多くの新事業を立ち上げました。

1720年ごろに発見された吉乃鉱山には黒鉱の大鉱脈が発見されるなど、町の中心地から農村部、山間部までも活力に満ちた商人の町を形成。

日本の近代化への出発点であった明治維新の後、新政府は全国の富豪から御用金として三百万両を調達したと言われていますが、ここ増田町には戊辰戦争の御用金を一件で三百五十万両(!)収めたという指折りの豪商も存在しました。

まさに栄華を競う時代から今に伝わる増田町の歴史。
当時の商人の息づかいを感じる旅へ出かけてみるのはいかがでしょう。

下記リンクから詳細資料やご予約の問い合わせができます。
>詳細資料・お問い合わせはこちら

内蔵のまち増田
住所:〒019-0701 秋田県横手市増田町増田
「草木ももとせ」からのアクセス:車で約10分